手塚治虫が描いた「ロビタ」を思い出した。
アンドロイドのように精巧ではなく、ロボット一般とも区別して呼ばれるロビタは不思議な存在だった。
この当時旧式な型となっていた彼らは、保守的な生産労働や育児などに従事していた。その癖彼らの頭脳はロボットと違って人間のように疲労を訴えるのだ。休養が必要なので、効率はあまり良くない。
また、人間の命令に対し、ロボットなら決して口にしない反抗の言葉をも、時として発することがあった。
ある主人はそんな態度を怒ったが、ある主人は人間臭い親しみと受け取った。とくに子どもたちはロビタのそんな性格を喜んで彼らになついた。
ロビタは、人間たちがとうに忘れ去ったチャンバラなどで子どもたちとよく遊んだ。ロビタたちはみな同じ遊び、同じ歌をおぼえていたのだ。(以上ネットより抜粋)
本作に出てくるAIたちはみんな人間ぽくって。ロボットともAIとも違うロビタと比べるのは間違っているかもしれないが似てる。
作品を鑑賞しているときはずっとロビタのことを考えていた。
そしてクライマックスではロビタを忘れた(笑)。迫力があった。
ところどころ漢字やカタカナが出てきてジャパンを意識してしまう本作、手塚治虫の火の鳥とオーバーラップして観てしまった。