Jeffrey

亀も空を飛ぶのJeffreyのレビュー・感想・評価

亀も空を飛ぶ(2004年製作の映画)
4.5
「亀も空を飛ぶ」

〜最初に一言、超絶大傑作。アメリカ軍のイラク侵攻を圧倒的な臨場感で描きながら、欧米発のニュース映像では知ることのできないイラクの悲痛な現場を映し出し、また同時にユーモアを忘れない温かい眼差しで見る者を魅了し、イランに生きる子供たちの悲惨な状況を克明に描き出し、終始頭の中で我々が過ごした子供時代とは何だったのかを考えてしまう。この映画は日本の戦災孤児を描いた、清水宏監督の名作「蜂の巣の子供達」を思い出させる作品である。平和な国に生きる人々の安易な想像力を超えるものが、この映画にはある。

冒頭、2003年春イラク北部。クルディスタンの小さな村。リーダー役の少年、地雷、仕事、難民の少女、恋、盲目の赤ん坊、両足のない兄、不発弾の爆発、予知能力、開戦。今、戦争の陰でたくましく生きる子供たちを映す…本作は「わが故郷の歌」に引き続き、クルド人監督の現在を浮き彫りにするバフマン・コバディ監督の傑作の1つで、昔に図書館でレンタルして観た時のあまりの感動を忘れずに、この度DVDボックスを購入して、人生2度目の鑑賞したがやはり傑作である。まずこの作品を通して監督の"知って欲しいこの子たちのことを"と言うメッセージ性が非常に伝わる正にデビュー作に回帰した子供達を映す歴史的事実の新たな傑作である。まず、皆に知って欲しいのは、この作品が多くの観客賞を受賞している事だ。基本、審査員が受賞させるものには、一定のバイアスがかかるものだ。だが、観客賞と言うのは映画祭に参加した観客達が選んだ結果で賞が決まる。なので、その時、その時代の問題点を確認にし、観た者がリアルだど感じた結果が表れるし、縁故受賞等がし難い…だから好きなんだよ。トロント国際映画祭やサンダンス映画祭は。さて、話を戻して、本作は冒頭から非常に惹かれる。


少女の風に靡く髪と共にクローズアップされる。そして少女の裸足の足にフォーカスし、崖のローアングルショット、そして崖から飛び降りようとする少女のカットで始まる。続いて、テレビでニュースを見るために、アンテナを取り付ける大人と子供たちの描写、そこに赤子を背負った1人の少女が現れる。アンテナ工事の少年は少女に優しく接する。続いてトラックに乗ってパラボラを探しに大人達と行く。そして中古のラジオ15個と金額で高級なパラボラを購入する。続いてシーンが変わり、両腕がない少年が水分を補給する描写に変わる。ここでアンテナ少年と、少女の兄(両腕がない少年の事)が喧嘩をする。そしてついに村にテレビが映り出し、村の老人たちは部屋に集まりニュースを聞く。ここでの下りで、汚らわしい番組などを見せる等、ユーモアたっぷりの内容があり、面白い。そして世界を握る男ブッシュのニュースをチャンネルで見つけ、観るも英語が訳せないため、困惑する。

続いてハラブジャからきた少女とお兄ちゃんと盲目の赤ん坊の描写に変わる。赤ん坊は有刺鉄線の場所で泣いて、アンテナの少年が彼を助け兄妹の下へ届ける…さて、物語は2003年春イラク北部クルディスタン地方の小さな村で湾岸戦争による荒廃したこの地域に再び新たな戦争が静かに始まろうとしている。そんな中、衛星放送受信するためのパラボラアンテナを孤児の少年サテライトが買いに行く。そうした中、ハラブジャから来た赤ん坊連れた難民の少女に彼は恋心を持つ。何度かアプローチしても頑なに心を開いてくれない少女。彼女には両腕のない兄が1人いる。この作品の主人公とも言える。サテライト少年は街では有名で、彼がいなければ街の情報や依頼、交渉が成り立たない位に大人にかわれている。だが、彼はアメリカに毒されている。掘り出す地雷も米国製と決めつけてしまい、米軍の侵攻に少しばかり期待を持っているご様子。そんな中、少女が連れてきた盲目の子供が地雷原に迷い込んでしまう。それを助けるべくサテライトはその危険な場所を1歩ずつ自転車で行く。

そして物語は彼の恋の行方と米軍の車列がついに道に現れ、それを眺めるサテライトの視線を強調し始める。そして戦争の大義が問題にされていく…。舞台は2003年春、イラク北部クルディスタン地方の小さな村。イラン・イラク戦争、湾岸戦争などで荒廃したこの地方に、再び新たな戦争が始まろうとしている。この村では、子供たちが地雷を掘り出して、仲介人の男に買ってもらっている。仲介人は国連の出先機関にそれを売るのだ。この仕事の元締めをしている少年サテライトは、掘り出した地雷の値段交渉から、地雷除去を依頼する地主たちとの交渉までをー手に引き受けて、子供たちから慕われている。この危険な仕事で子供たちが得る金はわずかだが、大切な現金収入だ。ある日サテライトは、ハラブジャから来たと言う難民の少女アグリンに恋をする。

目の見えない赤ん坊リガーを連れた彼女には、両腕のない兄ヘンゴウがいた。大人たちはアメリカ軍の動向を知ろうと、衛星放送を受信するためのパラボラアンテナをサテライトに買いに行かせる。サテライトは村のモスクにパラボラアンテナを設置し、衛星放送を受信するが、関心のニュースは英語放送で誰も理解できない。その後、米軍の侵攻が刻々と迫る中、サテライトはヘンゴウが予知能力を持っていて、地雷の埋めてある場所を言い当てたことを知る。水汲みに来たアグリンを見かけたサテライトは、彼女のバケツを運んでやる。そして金魚がいると言う泉をアグリンに教える。夜、彼女はテントを抜け出し、泉に向かう。そこで彼女は灯油をかぶって焼身自殺しようとするが、すんでのところで思いとどまった。

赤ん坊リガーは、イラク軍の兵士に暴行されたアグリンが産んだ子供だったのだ。兄のヘンゴウは彼女を慰め諭すが、彼女は子供を置いて村を去ろうとしていた。彼はアメリカのイラク攻撃を予知する。サテライトが大慌てで村人全員を丘の上に集めると、アメリカ軍のヘリコプターが現れ、ビラをまいた。そこには君たちの苦しみを取り除くために我々が来た、と書いていた。アメリカ軍とイラク軍との戦闘から村を守るため、サテライトが仲間と街でロシア製の機関銃をレンタルしてもらい、見晴らしの良い青空学校に設置する。その時、地雷原に赤ん坊のリガーが迷い込んでいることがわかった。サテライトたちは現場に駆けつける。サテライトはリーガーを救おうと地雷原に入り、足を負傷してしまう。

テントに戻ったアグリンは、捨てたはずのリガーを見つけ、彼を連れて再び姿を消す。街から戻った仲間のシルクーは、米兵に倒されたサダムの像の片腕をサテライトに捧げる。翌朝、ヘンゴウはリガーが亀と共に水中を漂う夢を見る。全てを悟ったヘンゴウ。泉へ行ったヘンゴウは、水中に飛び込み、リガーの死体を見つける。そして、切り立った崖の上には身投げしたアグリンの靴が置かれていた。アメリカの兵士が続々と村にやってきた。道端でぼう然とそれを見ているサテライト。仲間のパショーが、ヘンゴウから託されたアグリンの靴をサテライトに渡した。そして、275日後にまた何かが起こる、と言うヘンゴウの予言を伝えたのだった…とがっつり話すとこんな感じで、ただただ傑作の一言である。

この映画は既に数々の映画祭で受賞し、世界の注目を集めたゴバディ監督の新たな傑作であり、戦争で荒廃した大地にたくましく生きる子供たちと、彼らが経験する出来事を、リアリズムと幻想を混在させた力強いタッチで描いた作品で、繰り返し見るほど好きな1本である。監督は、2003年5月、バクダットで「わが故郷の歌」を上映するためにイラク入りしており、それは、開戦6週間後の5月1日にブッシュ米大統領が勝利宣言行ってまもなくのことである。そこで見たイラクの惨状、特に子供たちの状況が、この映画の着手を決意させたと言う。ゴバディ監督はバクダットやアルビル等の街で戦闘終結直後のイラクの様子をつぶさに見て回ったそうだ。そして同年秋、イラクのクルディスタン地方で撮影を行っている。

本作は、2003年3月に初めてアメリカ軍のイラク侵攻を圧倒的な臨場感で描きながら、欧米発のニュース映像では知ることのできないイラクの悲痛な現場を映し出している。また、同時にユーモアを忘れない温かい眼差しで見る者を魅了しているのがこの映画の素晴らしい点のひとつだ。イラク戦争ほど世界で戦争の大義が問題にされた事はなかったと思う。しかし大義を持とうと持ちまいと戦争に巻き込まれる悲劇には何ら変わりは無い。真っ先に犠牲になるのは子供たちであり、その心に生涯消えない傷を残すことを、この映画は改めて気づかせてくれている。デビュー作「酔っ払った馬の時間」は私にとってはものすごく印象に残り多分イラン映画ベストテン等を作れば必ず入れるであろうほどの作品で、監督は再び子供たちの世界を描いてくれたんだなというのがまずこの映画を最初に見たときの第一印象だった。

2011年に終息したが、当時はまだ終息の道が見えないイラク戦争と言う歴史的事実を重ね合わせ、21世紀の新たな叙事詩を完成させた事に対しては敬意を表す気持ちでいっぱいである。出演する子供たちはクルディスタン各地で採用され、アグリンとサテライトは中部の都市スレイマニアから、ヘンゴウ、パショー、シルクーは北部のバディニ地方から選ばれている。この作品は2004年9月、ワールドプレミアとなったスペインのサンセバスチャン国際映画祭でグランプリを受賞し、その後も欧州、アジア、北南米各地の映画祭で28に及ぶ賞に輝いている。特に観客賞の受賞が多い事は、このリアルタイムの叙事詩への大きな勲章である。そして翌年には世界3大映画祭の一角ベルリン国際映画祭の青少年審査員部門に招待され、映画祭の全作品の中から選出される平和映画賞受賞している。

この映画の印象的なシーンを語るなら、まず冒頭からだろう。大人びた少女の思い詰めた顔つきが写し出され、強い風になびかれながら、崖に立っており、その崖から空へとダイブするのだ。なんとも意表を突く始まり方だろうか。その少女は物語が始まってからも行くたびクローズアップされるが、ほとんど笑顔にならず、いつも厭世的な気分で悲しそうな表情を見せているのだ。我々観客からすれば、少しでも彼女の可愛らしい笑顔を見てみたいと心の中で思うが、残念ながらまだ幼いにもかかわらず彼女は子供時代を失っているのだ。何も知らない中、大人の厳しい現実に投げ出されてしまった少女の顔が映画を見終わった後も残像で残る。子供たちの普通と言うのは一体何なんだろうかと考えながら映画を最後まで見たが、この映画に登場する子供たちは我々が考える子供時代とは全く以て違い、戦争で親をなくしたり、嫌でも自分の力で生きていかなければならないのだ。

幼くして大人にならなければ、過酷な現実を生きていくことができない。時代のために腕や足を失った子供たちが登場するのも原因はそれだ。ただこの作品にも希望の光が見え隠れする。それは主人公の1人と言っていいサテライトと言う男の子だ。彼はクルド人の難民キャンプで暮らす孤児でありながら、悲劇に打ちのめされることなく、最悪の環境の中で必死に生き延びようとするのだ。これがこの映画の数少ない救いの1つだと思う。恵まれている日本の子供たちが生き抜くために生きる知恵を探そうとはしないだろう。しかしこの映画に出てくる子供たちは生きる知恵を探し、それを取得し、難民の子供たちのリーダーになって、地雷の埋まった野原に入り込んでしまった赤ん坊を助けようとする勇気を持ち始めるのだ。だがその勇気には代償がつくものだ(詳しい事は言えないネタバレになるため)。

今のアフガニスタンのタリバンの現状を見て、アメリカの飛行機によじ登り数人死んでいったニュースを見るたんびに、この映画に登場するサテライトが口ずさむ様々な言葉、そして得意としている英語が聞こえてくると、この少年の中で、かろうじての希望になっているのがアメリカなんだなと思わされる。しかし加害者である強国を夢見るしかない少年を安全地帯に暮らす我々は笑っていいのだろうか…皮肉なと言っていいのだろうか…お互いに助け合って生きようとした事のない安全地帯の我々が口にする事は何もないのかもしれない。イラン映画、トルコ映画には様々な子供たちが出てくる。サテライトを中心に難民の子供たちは、泣き虫な子もいれば足のない子も出てくる。そして大人たちに頼ろうとしない姿勢は感無量である。裏返せば、頼ろうとしないんではなく大人たちも精一杯で難民の子供たちを助ける余裕がないとも感じ取れる。



この映画の舞台になった地域を思いっきり反映している作風で、この映画は少女のバックグラウンドを知る事になると、かなりキツい感情になってしまう。言わば、回想でこの兄妹たちが、どのようにして難民になったかが非常にわかる描写はえげつなく、非常に胸糞の悪い事だ。また、兄妹たちが寝泊まりする寝ぐらでのやりとりや、池に潜り火をつけたりするシーンは悲しくも幻想的で、盲目の赤ん坊を少女が叱りながら頬を叩く場面での少女の告白(観客に対しての)が凄い衝撃を受ける。それから子供にロシア製の拳銃を売る商人とのやりとりの描写が日本人としてはあまりにも非現実的で悍しく衝撃的なやりとりである。そして良い意味で村の子供たちを束ねるアンテナの少年サテライトが盲目の赤ん坊が地雷原に迷い込み、それを助けるべく◯◯になるのは、ひどく胸を痛めるし、良い意味で物知りなインテリの少年が泣き喚く場面は見ていて苦しい。

それにしてもラストの帰結がなんとも余韻を残す…地獄の様な余韻を。難民キャンプをロングショットで写した風景や、牧場並みの大自然豊かで緑に包まれた土地は美しくて、荒涼とした今までの風景とはまるで違う。さて、この作品を見て誰しも思うのが、風変わりなタイトルの意味合いだ。当初見たときは、両手がない兄貴が子供を助けるべく、池に飛び込む時に一瞬、亀が写し出される。だが、その亀は水中にいて、空を飛んでいるわけではない。そこで必死に考えた。"亀も空を飛ぶ"それは亀は一生甲羅を付けたまま生きる生き物だ。それはクルド人が背負う一生の宿命を映しているのじゃないかと思う。また少女が冒頭で◯◯するのを空を飛ぶに例えて、長らく盲目の子供をずっと背負っていた彼女にも例えているような感じがするし、両腕がない兄貴が池に飛び込むときの泳ぐ格好は亀にも見える…これは非常に失礼な言い方だが…。こう言った意味合いがあるのじゃないかと改めて鑑賞して思った。

この映画を見ていてやはり胸くそ悪い場面もある。大人たちが子供達を利用して…というか作業員として受け入れて、危ない道を進めるのだ。それでも地雷で腕や足を失った子供たちは、積極的に地雷原に入っていくのだ。一体全体どういうことなんだと混乱してしまう。便利に利用する大人、むしろ積極的に地雷を掘り起こそうとする子供たち。子供も大人も、戦乱が生んだ極限状況を、ごく当たり前の日常で捉える。この映画を通して、安易な同情を持つものではないなと思った。日本の商店街に行って食料品を買ったり消耗品を購入したりするのは当たり前だが、その商店街にも武器が売っていたら日本では驚かれるだろう。ところがこの映画の少年が市場に出かけようとすると、そういった食料や衣類品と同じように武器も普通に売られているのだ。それは衝撃的なことで、少年はその武器屋で、掘り出した地雷と交換で、機関銃を手にするのだ。

これは平和な国にいる私たちにとっては異常なことかもしれないが、この作品では異常な状況を戦乱の土地ではもう当たり前の日常だと冷静に捉えているのだ。そういった悲惨な現状の中で、悲しい表情をしている少女とその少年の淡い恋心を抱く場面や、少年らしい無垢な初恋は観客にとっては嬉しい出来事なのだ。かつてサダム・フセイン軍よって毒ガス攻撃されて多数の死者を出したと言うクルド人の街から逃れてきた少女に水を汲んでやったり、水の中に潜ったりして見せる場面はこの映画の少年時代(子供時代)がかすかに見えた奇跡的な場面であった。そしてこの少年と少女は陰と陽、対局的である。少年は生きるたくましさを持っているが、少女のほうは諦めモードである。それもそのはず、彼女は暴行されていたのだし、小さな弟のような赤ん坊は実は…と言う下りもある。悲痛な事実が観客に知らされた時、観客は彼女の自殺の行為に対しての感情移入が揺れ動くはずである。

そこに監督は少女をめぐって寓話的、神話的イメージをきちんと我々に見せてくれているのだ。その内容はここでは言わないが、映画を見てぜひ感じて欲しい。悲惨な状況の中でも何とか生きようとする少年の生の意志と、死にしか希望を見出せない少女の死への意思が悲しく交差する場面を…。評論家の川本三郎氏はこの映画を見てそれでもなお、生きようとする子供たちの姿を見たと言っていたがまさにそうである。クルド人は厳しい状況に対応するために、自分たちの文化の中に2つの事を保ち続けていると言うのは本当らしく、1つはユーモア。そのユーモアがあって、冗談を言ったり笑ったりすること。もう一つはリズムが激しい、明るい音楽と言うことがこの映画を通してわかった。クルド人の特色の明るい音楽とユーモアなんだなと思うし、映画には監督の性格が反映しているような感じもする。

それにしてもクルド人の悲劇と言うのは中東全体に広がるクルド人の人口は、イラクの国民全体の数よりもはるかに多いのに、独立主権国家を持たない人々がいると言う信じられないことである。クルド人最大の悲劇は、中東第4の民族でありながら、トルコ人、アラブ人、イラン人と言う3つの強大な民族の作った国々の間に分散して住んでいる点にあると思う。もっと正確に言えば、オスマン帝国やガージャール朝イランと言うイスラム帝国の解体と再編の中で、アラブ・ナショナリズムを含めて共和国や民族的アイデンティティーを作ろうとする新しい3民族のエネルギーと情熱に圧倒されながら、独自の国家を作る意欲を絶えず萎縮させられたと言うことである。1918年に第一次世界大戦が終わると、トルコ人はオスマン帝国の終焉を見届けてトルコ人の民族国家を共和国として作り上げることを決意するのは誰もが習うことである。

それは、英国を始めとする西欧のパワーと対決する中でトルコ国民の凄まじい凝集力を発揮した。もともと自らをムスリム(イスラーム教徒)と考え、せいぜいオスマンル(オスマン人)と考えがちだった帝国のトルコ語を話す人々は、自らをトルコ人として新たに自覚しながら、帝国から継承したアナトリアの小さな領土に住み続けることを決心する。そして、他の民族にもトルコ人になることを求めたのだ。さもなければ、ギリシャ人のようにエーゲ海を越えてその祖父の国土に戻るべきだと言うのである。そういった国のない不思議、民族自決できない不条理な世界がクルド人の歴史と現在なのだ。東京大学大学院総合文化研究科教授の山内昌之氏によると、クルド人と言うものは存在するがクルディスタンと言うものはないとの事である。

長々とレビューしたが、この作品をまだ見てない方はお勧めする。世界史を見ると悲劇にあった民族と言うものは様々ある。ディアスポラから迫害の歴史を経てホロコーストの大悲劇にあったユダヤ人の経験や、そのユダヤ人のシオニストによって郷土を奪われ民族自決の権利を奪われたパレスチナ人の苦難などは、具体的な感覚として日本人の大多数にはわからない部分だと思うが、クルド人の悲劇もそうであるため、ぜひとも見て感じて欲しい。最後に余談だが、盲目の赤ん坊を演じたラーマン君は監督含むスタッフの協力者によって手術をして今では目が見えるようになったそうだ。それと監督自体が、この作品が唯一自分でも愛していると言えるほど好きだとの事だ。それと撮影時には既に米軍がいて、映画の為に米軍ヘリを飛ばしてもらうことを頼んで願いが叶ったそうだ。だが実際内容は伏せていたと言う…。この作品をまだ見れてない人にはぜひオススメしたい。ところがレンタルも配信もしていないため劇場で公開されるのを待つか廃盤で高いDVDを購入するしかない。
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