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ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人のkuuのレビュー・感想・評価

3.8
『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』
原題 Jeanne du Barry  映倫区分 G
製作年 2023年。上映時間 116分。
18世紀フランスで59年間にわたり在位した国王ルイ15世の最後の公妾ジャンヌ・デュ・バリーの波乱に満ちた生涯を映画化。
『パリ警視庁 未成年保護特別部隊』『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』の監督としても知られる俳優マイウェンが監督・脚本・主演を務め、ジョニー・デップがルイ15世を全編フランス語で演じた。
シャネルによる衣装提供やベルサイユ宮殿での大規模撮影により、豪華絢爛なフランス宮廷を再現。
ジョニー・デップが全編フランス語で話す初めての主演映画。

貧しいお針子の私生児として生まれたジャンヌは、類まれな美貌と知性で貴族の男たちを虜にし、社交界で注目を集めるように。
ついにベルサイユ宮殿に足を踏み入れた彼女は、国王ルイ15世とまたたく間に恋に落ちる。
生きる活力を失っていた国王の希望の光となり、彼の公妾の座に就いたジャンヌ。
しかし労働者階級の庶民が国王の愛人となるのはタブーであり、さらに堅苦しいマナーやルールを平然と無視するジャンヌは宮廷内で嫌われ者となってしまう。
王太子妃マリー・アントワネットも、そんな彼女を疎ましく思っていた。

今作品は"ド"丁寧な時代劇映画で、この抑えがたい映画監督は、フランス革命の引き金となった豪華なダイヤモンドのネックレスをつけた王室の愛人に扮している。
王室は、誰も王に背を向けてはならないと指示したが、彼女はとにかく背を向けた。
ルイ15世の目を直視してはいけないと警告されたが、この点に関しても彼女はヴェルサイユの助言者たちを無視し、反抗的に王の視線を受け止めたのがジャンヌ・デュ・バリー。
彼女は云われたとおりにするよなタイプの女性ではなかった。
この点では、史実では賛否両論あるが。
フランスの俳優兼監督であるマイウェンの考えには個人的には共感できる。
フランス君主の最後の愛人を繊細かつ驚くほど控えめに描いた今作品では、宮廷女官から女帝に転身した彼女自身を演じている。
ゴシップ記事のゴシッパーから非難ゴーゴーを浴びるジョニー・デップを "彼女の王 "として起用したことは、彼女が自らに課した多くのハードルのひとつに過ぎない。
今作品は、王室を題材にした比較的挑発的な作品でしたが、『ベルサイユのばら』シリーズやアルベール・セラの『リベルテ』(2019年)に比べりゃかなりおとなしい。
修道士と料理人の間に生まれた非嫡出子であるジャンヌは、ルイ15世の晩年の "お気に入り "の座を得るなど、その地位は高くなった。
その最大の功績は、嫌われ者に対抗することであった。
特に、その敵の一人が神話的なマリー・アントワネット(ここではポリーヌ・ポルマンが演じている)。
個人的マイウェンは巧みな映画作家と思うし、今作品は真剣に受け止めることを要求している。
エンドクレジットが流れると、前に座ってる婦人さんが涙を流してて、気を取り直して帰っていっていた。
不器用な映画とは云えるが、マイウェン監督は珍しい人間関係の感情の核心に迫り、それが最終的にどのように、そしてなぜ溶けていくのかを嘆き悲しむ人もおいでかと思います。
この伝記映画は主にジャンヌがルイ15世と過ごした人生の一章に焦点を当てているけど、タイトル・キャラを、本来、居たであろう多くの恋人の一人に貶めることはなかった。
むしろ、王は彼女の征服者として描かれている。
少なくとも10年にわたるジャンヌの人物像への執拗なリサーチにより、マイウェン監督はジャンヌの幼少期から始まる。
ジャンヌは、私の体よと決める前に、何人かの芸術家たちのためにポーズをとる。
少し単純化された映画のプロローグで新人女優陣を登場させた後、監督はジャンヌとして登場し、彼女の特徴的な笑顔を凶器のように振りまく。
この点で、マイウェンはフランスのジュリア・ロバーツと云えるかもしれない(美しさでは敵わないが)。
ただ、今作品は『プリティ・ウーマン』のファンタジーではない。
運も彼女の運命の一端を担っているが、ジャンヌの成功は主に戦略の結果である。 
彼女の出世によって利益を得ようとする男たち、宮廷にふさわしい称号を得るために彼女と結婚する彼女の恩人、デュ・バリー伯爵を含むが、彼女を国王に紹介する方法を画策するために。
その出会いは最終的にヴェルサイユ宮殿の光り輝く鏡の回廊で行われ、ルイが落ち着きがあり自信に満ちたジャンヌに夢中になることは容易に想像できる。
ただ、その時まだ、この役を演じるデップについてどう思うかを決めていた。
演出というよりも、このような大スターをフランス国王役に抜擢したことは、ルイと彼の最新の熱愛相手との間には、明白な力の差があるに違いないと思たからです。
国王の目に留まったジャンヌは宮殿に呼び戻され、国王の主治医の診察を受け、"王室のベッドにふさわしい "と太鼓判を押される。
ある種のユーモアを交えながら、マイウェンはこのプロセスの不条理と侮辱を認める。  
驚いたことに、王の付き人長である厳格なラ・ボルドは "味見 "を要求しない。
その代わり、彼はヴェルサイユでの数年間、『マイ・フェア・レディ』のヘンリー・ヒギンズ教授のような盟友としてジャンヌにお辞儀の仕方を教え、後に他の者がジャンヌに反対したときには彼女の味方をする。
今作品では、最初は王の娘たち、そして後に王太子妃となる女性たちが、(シャネル提供の)特異なデュ・バリー・スタイルとも云えるものを採用しながらも、彼女を最も歓迎されていないと感じさせる。
彼らの嫉妬やゴシップは現代風に見えるかもしれないが、マイウェン監督はソフィア・コッポラが『マリー・アントワネット』に持ち込んだ時代錯誤のスニーカーとお菓子の感性を拒否している。 その代わりに、彼女はドラマチックな一歩を逆に踏み出し、フィルム撮影やオーケストラとのスコアリングなど、重厚でクラシカルなアプローチを取り入れている。
デップは、きめの細かいパウダーをつけ、堅い白いカツラをかぶり、上手なフランス語で台詞を云う(あくまでもネイティブじゃないしそう聞こえた)。
ただ、彼のルイが実際に(ジャンヌに向かって)ウィンクしているはずのときでさえ、そこに輝きがないのは奇妙やった。
この不思議な共犯関係の欠如が、主役2人の間の化学反応を奪っていた。
他の映画では、この公爵夫人は嘲笑の対象として扱われるが、ここでは彼女の機知と無遠慮さが最も効果的でした。
しかし、この女性の評判を取り戻そうとするあまり、マイウェン監督の映画は予想外に味気ないのは否めなかった。
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