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役者のzhenli13のレビュー・感想・評価

役者(1948年製作の映画)
4.2
大事なオルゴール付き宝石箱を開け、またそっと閉じるような慈しみがある。
サッシャ・ギトリが綴るのは父リュシアン・ギトリについて、また父が身を捧げた演劇への敬意について、そして演劇に身を捧げた者の業(ごう)について。先日観た『フェイブルマンズ』をもう一方から照射するようでもある。

映画のはじまりには音が無かった。役者の動きと中間字幕で物語を進行させ、やがてカットつなぎやクローズアップなどの発明、そして別のショットを挟むことで心理状態を想像させるモンタージュなど、映画独自の話法が発明された。
『役者』を観ると、演劇は言葉ありきであることがよくわかる。少年のリュシアン・ギトリはじめ家族らが戯曲に夢中になって台詞を暗誦したり批評したりする。ここで、美しい言葉が役者の身体から紡がれ生命を吹き込まれることが演劇の本懐と受け取ることができる。
サッシャ・ギトリ作品で多くみられる、会話中心(しかし物語を説明するための会話ではない)の進行や長台詞によるギトリの一人語り、演劇における狂言回し的な存在による導入、額縁舞台や表方・裏方を意識させるかのような入れ子式の物語や映画の外側を見せるメタ構造などは、演劇そのものというよりも「演劇の素晴らしさ」をどう映画に取り込むかということの成果かもしれない。

『祖国の人々』に登場するリュシアン・ギトリの映像が冒頭に配される。父リュシアンの風貌にサッシャはよく似ている。父を演じる彼が中盤から本人役と二役で演じ、トリック撮影ではなくカットつなぎと巧みな演技で二人が対面しているように見せる。また、リュシアンの楽屋のドアから人が入り、リュシアンと芝居を打ち、また次の誰かが入ってくる、それが楽屋の狭い空間のみでずっと展開される、いかにも演劇的なシークエンスもある。

シェイクスピアの芝居などでもよく見られる、幕を上げる前に床をどんどんどんどんどんどん、どん、どん、どん、と叩く人が2回出てくるが、あの名前がわからない。

リュシアンは演劇においては自分にも他人にも厳しく(私情たっぷりで相手役に抜擢しながらも)恋人であろうと演劇を軽視する者を忌避し、冷酷非情であることを認める。それも演劇のためであると。いわゆる芸の肥やしというやつか。5回結婚したというサッシャの女癖というか女性観は父親ゆずりということがよくわかる。
サッシャが長じて役者を務めるようになり、父からの三幕分の短い手紙を楽屋へ届けに来る女性が誰なのか明かされないが、あれはリュシアンが捨てた旧友の姪にしか見えない。楽屋に姿を見せなかった本当の理由を告げることなく、床に伏すリュシアンの前にしゃっと幕は下りる。まるで今際の際まで舞台を務めたかのように、リュシアン・ギトリは子サッシャ・ギトリによって祝福される。
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