zhenli13

祖国の人々のzhenli13のレビュー・感想・評価

祖国の人々(1915年製作の映画)
3.9
先日の大江健三郎の訃報をうけてちょっと話題になった伊集院光の2008年のラジオ番組に大江健三郎が出演したときの対話をYouTubeで聴いて衝撃を受けたのだけど、あの番組で伊集院光が言ってた「同じ話を何回もするおじいちゃん」の話と似てるなぁと、『祖国の人々』に先がけての坂本安美さんの解説を聞いて思った。演劇出身のサッシャ・ギトリは最初映画に対して懐疑的だったということも解説で知った。

1914年にサイレントで撮られた晩年のロダンやモネ、サラ・ベルナール、サン=サーンス、オーギュスト・ルノワールなどの姿を記録した「ドキュメンタリー」(ドキュメンタリーの概念はフラハティからだろうけど)を、毎回ギトリがライブで語る形式で上映し、のちにリュシアン・ギトリの晩年の映像も加えられ、1952年には当時のギトリが自室で1914年の『祖国の人々』を解説・紹介するシーンを加えて再編集されているとのこと。
伊集院光の「同じ話を何回もするおじいちゃん」は、また同じ話だよと思われがちだけど実はその日の気分や聞かせる相手によって強調されるところが変わったりアレンジが加わったりする、大事なのはそれのどれが真実かということではない、というような話だった。アピチャッポン『真昼の不思議な物体』はまさにそれ(口伝、伝承による変化)を映画にしてるんだけど、『祖国の人々』の特殊な変遷も「同じ話を何回もするおじいちゃん」に似ていると思った。

映画(記録されたもの)の一回性、演劇(ライブ)の一回性、その一回性もそれぞれ性質が違う。ひとつの記録映画にライブの説明をつけて何度も上映し、その映画に後年別の映像を足し再編集し、という変遷を経て「同じ話を何回もするおじいちゃん」のように、サッシャ・ギトリの中でも感じ取り方や伝え方に変化があったのではと想像される。

ギトリの語りは演劇の人だけあって「おおナントカよ」みたいな朗詠調というか美文調のような流麗さでどうしても眠くなってしまうのだが、晩年のオーギュスト・ルノワールがリューマチで不自由な手に筆を縛り付けて、まだ少年だったジャン・ルノワールが助手となって絵の具を出したり煙草を持ってあげたりしている映像や、モネが描いたジヴェルニーの風景がまさにモネの構図のように映っていたりするのを観られてよかった。すべて自然光のみで撮られており、顔半分は深い影に縁取られる。

サッシャ・ギトリの自室で彼を見下ろすように掲げられた肖像画が父のリュシアン・ギトリで、その晩年の姿を捉えた映像でふっと終わる。
zhenli13

zhenli13