大島育宙

怪物の大島育宙のレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
4.5
複雑なものごとを、複雑な問いを、複雑なまま届けられるのが映画だということを信じ続ける是枝裕和監督が、テレビドラマの領域を拡張してきた坂元裕二の設計図で組み立てた魔殿。

人の事情や内心はわかるわけがない。
いや、自分の内心もそうかもしれない。
それだけのことを端折らずに、嘘や綺麗事を並べずに、じっくり描く。1秒もスリルが弛緩しない。

コミュニケーションや視線の加害性が大きなテーマだ。わかりやすいのは保利(永山瑛太。『最高の離婚』の濱崎にちょっと近いキャラクター)が、生徒たちには「それでも男かよ〜」「(トイレから出てきた児童に対して、便)出たか?」などと無意識に小刻みに加害的コミュニケーションを取っているのを誰にも糾弾されないところ。彼の趣味は誤植の指摘。「正しさ」を傘にきた加害的娯楽だ。そんな彼も、ひとたび有害な男性性の塊のような保護者(中村獅童)の前では圧迫される側になる。一時が万事そんな風で、この映画は加害者と被害者を固定させてくれない。

どっちが優勢か、どっちが悪いか。
誰かを勝者や犯人にしないと納得がいかない、
落とし所がないように居心地が悪い、
人間の愚かさが「怪物」の正体であると思う。

「男のくせに」と視線や言葉や行動で、教室でも家でも圧迫される小学生。彼と親密なコミュニケーションを取るもう1人の子供も、彼からかけられた軽口に軽く返したところで瞬時に「加害者」になってしまったことに怯えて謝る。

三幕に整理されており、三幕目がメインだ。
この小刻みな構成は坂元裕二のドラマ脳が生きている。そして、これはセクシュアル・マイノリティをネタとして消費するエンタメではない。大人が主人公で、子供の内心を追うミステリーではないからだ。子供たちの物語の前座として、大人たちの誤解と傷つけ合いがフリとして描かれているに過ぎない。彼らのクィア的な指向がこの映画の「トリック」や「ネタ」だとするならば、それが明らかになってからの彼らのコミュニケーションを「後日譚」と見ることになるが、にしては長すぎるし、エモーションの高まりが後日譚に置かれてることになる。流石にそれはない。

コミュニケーションに落とし所はいらない。
そう思えたキャラクターだけが解脱するラスト。
悲劇とも取れるが、私には明るく感じられた。

坂本龍一の反復的な美しい旋律が、
くだらない人間の傷つけ合いを癒すように響く。


【追記】
シナリオブックを読んで理解したが、
ラストシーンの解釈は分かれない。

〜以下、ネタバレあり〜

①監督がカンヌ脚本賞のスピーチで「世界は、生まれ変われるか」と脚本の頭に書いたと述べてる
②2人の少年は「生まれ変わってない」とセリフで言う

つまり、世界が生まれ変わったのだ、
という祈りのシーンがラストシーンだ。
生きているか死んでいるか?というのは、
マジョリティがいる世界を基準とした問いであり、
問いそのものがズレている。
彼らを抑圧した世界が、
彼らに合わせて生まれ変わったのだ。

マイノリティを玩具にした、
マジョリティ向けの映画だ、
などと批判されてもいるが、
鮮やかすぎて追いついてないだけで、
これほどマジョリティの反省に基づいた
祈りに満ちたラストはなかなかない。


同性愛と生殖、という別の議論(各自が個別に勝手にする性愛に、避妊法がある程度確率した現代、異性愛だとしてもセックス=生殖目的とは全く限らないのだから、異性愛中心主義で抑圧される社会において、同性愛が生殖の不可能性を理由に悩む合理性はないから)に散逸・スライドしないように、シナリオであった性的なシーンがオミットされているのも英断だと思う。

シナリオでは木田美青という女子は2人をもっと明確にBLとして消費する脅威であったが、それもまた別の話になりすぎる感があるので(それはそれでまだ別の時に描かれるべきテーマではある。今は観客が一気に投げられても掴む力がない)削って正解だったと思う。