あかっか

それでも私は生きていくのあかっかのレビュー・感想・評価

それでも私は生きていく(2022年製作の映画)
3.5
2024_019

それでも私は愛に行く。


レア・セドゥ様の作品はできるだけ見逃したくない勢です。
いつものレア様とは少々違ってラフというか一般的ナチュラルというか、オーラ全消しで挑んでいる感じでしょうか。でもそこはレア様、色々ダダ漏れてしまっています。親の介護、シングルマザー、不倫と言った重めのテーマを扱いつつもフランス映画的軽やかな空気感で描いています。

惜しむらくは日本語のタイトル。原題『Un beau matin』を翻訳(作品内のセリフ通り)すると『ある晴れた朝』なのですが、どうしてそうなった?作品の印象が大きく変わってしまうじゃないですか・・・。(理由はネタバレありで書きます)でも、作品自体は良かったのでレア様ガチ勢にはオススメします!

以下、ネタバレあります。

夫に先立たれ女手ひとつで娘を育てる通訳のサンドラ。偶然出会った夫と共通の友人であるクレマン(妻子あり)と再会し恋に落ちる。大学教授であった父の介護と育児と仕事と不倫。忙しい毎日の中でサンドラの心は揺れ続ける。

メインテーマは父親の介護と旧友との恋といった感じ。病気により視覚を失い、記憶が曖昧になった父は献身的に介護する娘のサンドラより恋人に夢中。父の大切な人の中にサンドラの名前は出てこない。それでもサンドラは父を見捨てず父の元へ通い続ける。しかし『私のことを一番に思って欲しい』という欲はクレマンに向かう。妻子を捨て私だけを愛せと強く願う。物凄く人間くさい感情。その願いにクレマンの妻子を思いやる様な葛藤はない。そこに於いてサンドラは非情であり、そこまで追い込まれているのだとも取れる。(明らかに情緒が安定していない)

ラストシーンはサンドラにとってはハッピーエンドだけれど、クレマンの妻子のことを思うといたたまれない。しかし光に満ちた素晴らしいシーンになっている。きっとクレマンの奥様も・・・って思えるのがフランス的!

さて、タイトル問題だ。

別に日本語のタイトルが悪いわけはない。ただ作品の中で重要な言葉である『ある晴れた朝』をわざわざタイトルとして付けているのにそこをいじってしまっていいものか?『ある晴れた朝』というのは父親が執筆する予定だった自伝のタイトルである。つまりこの作品自体が父親の作品という意味合いがある。確かに『それでも私は生きていく』というタイトルは病に耽っている父親のことも意図しているかも知れない。しかし、作品としてより綺麗なのはやっぱりタイトルの伏線回収の方ではないだろうか。

この手の作品を好んで鑑賞する層には内容が透けて見えるキャッチーな邦題よりも、「なるほど!そういうことか!」と膝を打つ様な原題の方が良い気がするのだけれど。素人の余計なお世話でした。
あかっか

あかっか