backpacker

ヌズーフ 魂、水、人々の移動のbackpackerのレビュー・感想・評価

3.0
第35回東京国際映画祭 鑑賞第2作『ヌズーフ 魂、水、人々の移動』

ヴェネチア映画祭オリゾンティ・エクストラ部門観客賞受賞作。
ーーー【あらすじ】ーーー
シリア、ダマスカス。
14歳の少女ズィナは、父ムタズ・母ハラとの3人暮らし。街は激しい戦いの影響で廃墟と化し、住人の大半は避難民として去ったが、頑固な父の主張により、彼らはまだ住み続けている。
ある日、壁や天井が爆撃で崩れたことから、父と母の対立はヒートアップ。
一方ズィナは、向かいに住む少年と過ごす時間に心躍らせていき……。
ーーーーーーーーーーーー

過酷極まる戦火の日々。巻き込まれた一般人の少女と家族を通して、力強く生きぬいていくことの意味を描くパワフルなドラマ。
現実離れした世界が日常となったとき、ある種能天気な楽観と現実逃避が一体となり、溢れ出す感情の大波。
この地で暮らす少女の笑顔は、最後にはどうなってしまうのだろうか……。


〈天井に開いた穴〉の存在が、現実からの脱出口として描かれております。
しかし、たとえ部屋の外に出たところで真に自由なわけではありません。本当の自由は、自らの内側(心の中)にしかないのです。
自由の世界から無理やり引き戻すのは、いつだって現実世界の枷で、ムタズとハラはそのメタファーに使われることもしばしば。ただ、典型的で一方的な描き方に終始しないところこそ、本作に好感が持てる要因の一つなのです。

例えばムタズは、強い父権の象徴として描かれることもあれば、その場に止まり続けることによって現実逃避している、夢見心地な存在であるとも描かれます。
そんなムタズに対し「難民になってもいいから逃げ出そう」と訴えるハラもまた、ムタズなしでは存外頼りなかったり、使い物にならないハイヒールや毛皮のコートを持って逃げたりと、やっぱり現実逃避気味。
更にはズィナ。彼女は最初から、夢と現実を行ったり来たりしている子どもとして描かれるので、実に二面的。

アンビバレントな思考は、平事であれ有事であれ、両立しているのが普通。けれど、異常な現実に置かれたために、両者のバランスがうまく取れず、内面で留まるものも外部へ表出してしまうことに。
それが自然体に描かれるか、ファンタジックに現れるかは、その時置かれた環境次第。
戦争のもたらすものは、いつだって酷いものです。そんな世界で、ズィナの明るい笑顔は計り知れない価値を持っているなぁと、しみじみ思います。


毎年おもいますが、東京国際映画祭で見るヒューマンドラマや現実問題とリンクした映画は、評価に困ります笑
backpacker

backpacker