YasujiOshiba

ヤング・ポープ 美しき異端児のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ヤング・ポープ 美しき異端児(2016年製作のドラマ)
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DVD(Kadokawa)で鑑賞。全10章、圧倒的。国際的なキャストで広いマーケットを狙いながら、非常に個人的な作品でもある。それはソッレンティーノが作家である証明。脚本を書き込める力量があってはじめてなせるわざ。

最初の短編からのテーマが執拗に繰り返されている。夢から現実への覚醒、現実と夢の融解、記憶の乱入、孤児であること、捨てられること、孤独であること、だからこそ愛を渇望すること、執拗な喫煙とアルコールの描写、美しいグロテスク、清らかな誘惑、サッカー、尼僧、ダンス、奇跡...

ソッレンティーノ自身、両親んを16歳で突然亡くし、厳しいことで知られるサレジオ会の全寮制高校ですごしている。そんなカトリック的な経験は一般的なイタリア人よりも強いのだろう。ヴァチカンの描写は、アイロニカルに見えて次第に謎めいてゆき、グロテスクで堕落した世界を想わせながら、おもわぬ清廉潔白の光を差し込ませると、キリストよりも美しいと自称する異形の「若き教皇」の人間に、はっとするような信仰告白を描き出してみせる。それは人が隠しもつ愚かさ、気高さ、醜さ、美しさ、ようするのあまりにも人間的な深さ。

それにしても、ここにはどうしてもフェリーニを見てしまうな。ほとんどフェリーニだわ。自分が追いかけている映画をつかめてみると、なんとそれは自分自身だったという発見(アナグノリシス)。その自己探求があってはじめて、『イル・ディーヴォ』(2008)のアンドレオッティ)や『LORO 欲望のイタリア』 (2018年)のベルルスコーニのような怪物を描くことができるのだろうし、そのコインの裏側のような人物がこのレニー/ピウス13世であり、そこには実はソッレンティーノ自身が隠されているのだと見た。

いやこれはともかく傑作。だっておもわず、あ、こんなカトリックなら信じても良いかもしれない、なんて思っちゃったもの。それはでも、ソッレンティーノと彼の作品を信じるということでもあるわけだ。これからはナポリのフェリーニって呼ぼうかな、うん。
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