なっこ

清越坊の女たち~当家主母~のなっこのネタバレレビュー・内容・結末

清越坊の女たち~当家主母~(2020年製作のドラマ)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

結婚、悲恋、その終わりから始まる物語

少女の頃から知っている物語の多くが結婚や恋の成就で終わる。その先を生きる年齢になってはじめてそこからの人生の長さについて考えてしまう。この物語はハッピーなエンドのはずの結婚のその後を描く。

あらすじを読めば大筋の展開はわかる、だから自身の道徳観と合わない人は最初から見ないだろう。私はこの物語は、ヒロインなりの筋の通し方を見せた稀有な物語だと思って見守ってきた。彼女は“人の命を一番に大切にする”という信念だけで生きてきた人。その強さに敬服する。そしてそんな彼女に感化され変化していく周囲の人々。もちろん彼女の心情も変わっていく。人はいつでも変わることができ、新たな人間関係を築いていけるのだということを静かに教えてくれる物語だったと思う。

宝琴と良弓

魅力的な人が多く登場し、誰を一番に選ぶか迷うほどだが、やはりもう一人のヒロインの宝琴とキーパーソンとなる良弓は外せない。私はこの物語を通して自分の理想の男性は、彼のような人なのだと気付かされた。彼がこの物語に登場しなければきっとこの物語は全く違ったstoryをたどることになっただろう。出会う順番、時期、全て完璧。まず彼は宝琴と出会う。彼女の実子の秀山と彼の幼少期はほぼ同じ境遇であり、そのことからまず彼女たちは互いに親子や姉弟のような親しみを覚える。彼のいまの現実に息子の未来を重ねたのだろう。そんな彼は彼女のためにヒロイン翠喜の元にいる秀山の家庭教師となる。彼はヒロインのそばで世間に誤解されやすい彼女の本当の姿に触れて、彼女に惹かれていく。彼にはふたりの母があり、どちらについてもよく知っていたが、きっと翠喜に本当の強さと慈しみとは何かを教えられたのだろう。それはきっと母性のような女性性、彼がふたりの母に求めて触れることの出来なかったものだったのではないだろうか。彼は翠喜が窮地に立たされたとき唯一、彼女の気持ちを訊いた人だった。この相手の気持ちを第一に考え、それを教えてほしいと乞う姿勢は、とても大事。これが出来たのは彼だけだった。心のままに生きることを夢見るヒロインたち。でも彼女たちは誰かに自分の心を聞かれることがない。

シスターフッド

翠喜と良弓はすれ違ってしまうが彼らを再び結び付けたのは宝琴だった。ここに彼女の大きな変化が見られる。これが呼び水となって頑なだったヒロインの心はなめらかに流れ出していく。宝琴の変わり様は一番の不思議だが、ここにはやはり良弓の気持ちを第一に考え彼のために行動する無私の姿勢が見てとられ、男女の愛にしか生きていなかった過去の彼女との訣別が見える。我が子秀山の未来の姿、分身としての良弓を失意のまま死なせてしまえば、きっと後悔すると彼女は思ったのだろう。雪堂との愛にしか興味がなかった彼女は、彼の子を産むことで新たな自分とも出会い直したのではないだろうか。産むことで新たな自分も生まれた。他者の人生を自分ごとのように感じられるようになった。きっと翠喜の気持ちも以前より冷静に捉えられるようになったからこそ、良弓になりかわって彼の気持ちを伝えにくることが出来たのだろう。ここに稀に見るシスターフッドの絆が生まれる。雪に覆われた崖の淵に立って語り合うふたりの姿が一番の見せ場なのかもしれないが、私はその後のふたりがお茶を飲みながらゆったり座って見つめ合うシーンが好きだった。雪堂を挟んで向かい合う関係のふたりは“あちら側にいる鬼”という関係だったはず。それが親友に戻りましょう、貴女の幸せを願っていると語り合う対等な関係になる。そして、この友情はここから物語の終わりまで揺るがない。その美しさ。

人は人間関係の編み目のなかを生きている。

その相互依存の編み目の中でどの糸が強く太く結びついているか強弱や濃淡はあれど簡単に切って失くすことはできない。私たちはつながっている。どんなにその人が遠く感じられようと近く感じられようとたとえ死んでいたとしてもその編み目の中から出ることはないのだと思う。

職人の魂

機織りというのは象徴的だと感じた。織っていくというものづくりの作業は職人としてのその人をつくり上げるものでもあり、ひとつの作品を織り上げる創造的な過程でもある。緙絲(こくし)という伝統工芸の長い歴史の流れの中で忍耐強く技を身につけて伝えていく職人たちの物語は大河のような大きな流れの中にある。その僅かな一時の流れに私たちは立ち合ったに過ぎない。それでも人と人の絆はこんな風にあるべきだという一つの模範を彼女の物語からは感じることが出来た。彼女の指にあった指輪を任家を出る際に秀山に渡す。何気ないシーンだったが厳かでその意味は深いように思えた。彼女たちに血縁関係はない。けれど任家の当主を助けた恩人の娘だから彼女はその指輪を携えて任家の敷居を跨ぐことが出来た。そして今その指輪を次期当主に手渡してここを去っていく。雪堂が愛にかまけ頼りないとき不在のとき彼女が間を取り持ち繋いだものは商売や技術の流れだけではない、人としてどうあるべきかを秀山に遺した、いのちのつながりを大切にする生き方そのものを彼に託したように見えた。助けた命に助けられる。情けは人の為ならず。この物語のように良い行いが次の良い行いにつながりめぐっていくような世でなければならないと思った。

網状に広がる成熟のイメージ

人生は一本の線の上を階段上に上がりながら歩いていくのが西洋の男性的なイメージであるとするならば、女性の成長のイメージはメロンのひび割れが進んでいくようなイメージとして感じられる。やがて全てを覆い、完全な球体となる。どのつながりも切り捨てない。だからこそ生をつなげていくことを第一に、その先を生きるための逃げ道も用意する。敵対関係にあった人でも、その人の妻は娘は、手を差し伸べるべき女の人生を歩んでいるのではないか。ヒロイン翠喜の心は広い。誰かの不幸、誰かの命の危機に無関心ではいられない。目を背けない責任感に感服する。なんでそこまで善い人なのかと問えば、だってそうやって人は助け合って生きているのよ、あなたも困ったら誰かに助けてもらいたいでしょ、当たり前のことじゃない、とでも言われそうだ。彼女の視点は常に低い位置にある。自己から離れて苦しむ他者を中心に考えられる人。それを最初に感じたのは、宝琴のために彼女を迎え入れる離れの壁を壊してそこに扉を付けたとき。翠喜は女将として宝琴を虐げることの出来る立場にある、そう出来てしまうことを彼女ははっきり恐ろしいことだと言った。権力を持つこと、自分なりの倫理観を見失うことを最も恐れる彼女は、優しさのある強さの持ち主。どんなに状況が変化しようと彼女は始めから終わりまでこの性質から動かず、逃げない。愛に生きる宝琴を主役に立てても面白い構図が描けたのではないかなと、中盤あたりで考えたが、恐らくこの物語で語りたいことは、男女の愛ではなかったのではないだろうか。如意と書硯の恋愛を引き合いに出しながら成就する恋愛を見届けたいと翠喜は言うが宝琴は同意していなかったように見えた。如意の結婚がうまくいくとは私には全く思えないが、彼女のキャラクターの役割はお互いに思い合うこと以上に、私はこの人を愛すると決めて嫁ぐ、その意志が結婚においては大事だということを伝えたかったのかなと解釈した。

女は三界に家無し

父や兄、夫や息子、家の中で一緒に生きる男の運命に巻き込まれる女の一生で良いのか。手に職があれば女も自らの居場所である“家”を持てる。ヒロインの生き方はずっとこの諺に抗って生きられることを証明しようとしているようだった。そのことに深く勇気づけられる。物語は終わり明日からはもう彼女に会えないかと思うと少し寂しい。中国でも韓国でも、もちろん日本でも彼女のようなヒロインをぜひ生み出して欲しいなと思う。
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